「通信制高校」


 私は高卒です。正直、高校へは行きたいとは思わなかったのだけど、高卒は取っておいたほうがいいと親に言われたので高校に行くことにしました。2004年当時、フリースクールの年上の人達がほとんど県立の通信制高校に通っており、私もそこに通うことにしました。


 入試は面接だけで勉強を全くしなくても入れました。
 面接のときに「不登校なんです」と言った私に、面接の先生が「でもすごく明るいね」と言ってくれたことがちょっと嬉しかったです。


 日曜日にスクーリングありますが、最低出席日数をクリアすればOKだったので必ず全部のスクーリングを受けないといけないわけではなくて、とても気楽でした。勉強内容は中学生のおさらいレベルだったかと思います。今では勉強した内容のほとんどを覚えていません。

 でも、今のところ日常生活や仕事に支障はないです。


 通信制高校は通っている人も様々でした。年配の方もいたし、ヤンキーっぽい感じの子も多かったです。私と同じく不登校だったのかなという感じの子もいました。
 学校は割と真面目に通って、4年間で卒業しました。


 今は、私の通っていたフリースクールに通信制高校提携の高等部が出来て、フリースクールに通いながら高卒が取れるようになったそうです。

 単位制や定時制、専門学校の高等部など、今は高校も様々です。学ぶ方法は一つじゃないので、自分に合う選択をすればいいと思います。


2012,08,04/2015,07,14記


「人生の節目15歳~16歳」


 私にとって大きな人生の節目は16歳の時でした。
 今まで憧れていただけだった芸事の世界に飛び込んでいきました。不登校で萎縮してしまった私の心は、その一歩を踏み出すパワーを生み出せるほどに、この時ようやく回復していたんです。


 その直前の15歳の私は、中二病の真っ只中でした。
 人生は思うようになんてならない、不安なことや恐ろしいことがたくさんある、私には出来ないことが山ほどある、辛い、苦しい、これからちゃんと生きていけるのだろうか…こんなことばかり考えていたと思います。


 大きな不安を常に抱えているのに、それが具体的に何なのか、どこから来るのかわかりませんでした。例えば、試験の直前で不安だとか、友達を怒らせてしまってこの先不安だとか、そういう風に具体的な不安の要素がある訳じゃないのに、毎日不安で将来が怖くてどうしようもなかった。


 理由もなくひたすら湧き上がる不安たちを、どう扱えばいいのかも分かりませんでした。

「私が弱いからいけないんだ、私はわけの分からない不安に打ち勝てるくらいにすごく強くならなくちゃいけないんだ。弱い私はダメな人間だ。」と自分を責めました。


 私は精神的に病気なのかもしれないと思い、薬を処方してもらって飲んだ時期もありました。
リストカットを覚えてしまったのもこの頃です。


 その人生の底辺のような時期から抜け出すことが出来たのは、実は当時付き合った彼氏のおかげでした。


 私にとってもちろん初めての彼氏だったその方は、15歳の私より12歳も年上の当時27歳。「恋人として対等にお付き合いしていた」というよりは「歳の離れた妹のように面倒を見てもらっていた」というほうがきっと正しいかと思います。でも幼いなりに心から愛していました。


 彼は私をとても可愛がってくれて、ベタベタに甘えさせてくれました。
 湧き上がる私の不安は理解してもらえなかったけれど、私が泣いている時はそばにいてくれました。
正論は行っても私を責めることはせずに、とにかく好きなようにさせてくれて、守ってくれました。私にとってこんなに完璧な人は、今でも彼以外にはいません。


 彼と過ごした時間の中で、心の健康を取り戻していきました。
コンビニで初めてバイトを始めた頃には、彼が「変わってきたね」と言ってくれました。


 そして16歳になって少し経った頃、ある日突然、衝撃的に、こう感じたんです。

「このまま彼に甘え続けていたらダメな人間になっちゃう。自分で何にも出来なくちゃう。自分の力で生きなくちゃ!」と。そして、私から彼に別れを言いました。


 彼は「私のしたいようにしたらいいよ」とすんなり分かれてくれました。
 思い返せば、付き合う時も、付き合ってからも、分かれるときも、私の気持ちをすごく尊重してくれていました。


 そして、その後、私の新しい人生がスタートしました。私はものすごい勢いで芸事に挑戦していき、現在に至っています。


 今となっては、甘えるだけ甘えさせてもらって元気になったらサヨナラなんて、なんとも私の都合だけに付き合わせてしまって申し訳なかったと思います。でもそれ以上に、いくら感謝しても足りないくらい心から感謝をしています。
 彼と付き合った10ヶ月間があったからこそ、今の私がいます。それはとても必要な時間でした。

本当に彼のおかげです。


2012,01,07/2015,07,14記